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『バービーと私』 [☆雑記帳]

2009年、上海にオープンしたバービー旗艦店『House of Barbie』が、今年の3月に閉店したという寂しいニュース・・めまぐるしく変わる上海とはいえ、わずか2年ですから「あーーぁ」です。鳴り物入りで、中国は上海へ、アジアへと、大規模出店って感じだったんだけど、残念ながら路線の失敗なのかなー。

バービー・カード②.jpg
古き良き時代のモード☆ポストカード(私の収集したカードです)
(左下、真ん中は「ジャックリーン・ケネディ」をイメージしたという#939)
 

ところで、バービーのお洋服(着せ替えドレス)を開発し、製作にたずさわっていらした宮塚文子さんが、その半生を語った本を読みました。

バービーと私.jpg

バービーと私―着せ替えドレスを作り続けた半生記  

もはや戦後ではないと言われた1956年の翌年(1957年)とはいえ、女性の地位は、けして高くはない時代。手に職を持ったひとりの女性として、責任感と忍耐力とガッツを秘めて、アメリカ人デザイナーのジョンソンさんと二人三脚で作り上げていった姿は、多くの女性の共感を呼ぶものだと思います。

また、宮塚さんは有名洋裁学校のご出身ではなく、自宅に程近い週3回の洋裁教室へ通って習得、そして修業されたという点など。とても、親しみを覚えました。帽子の型づくりのヒントは、水道の蛇口に手をかざしたときに得たという微笑ましいエピソードなどの素晴らしいお話も・・・。

この時代を生きた女性は、私の母なども含めて、真面目で働き者、そして努力家で頑張り屋さんです。よき「[ぴかぴか(新しい)]昭和のお母さん」であり、あらためて見習うべき世代の方々だと感じ入りました。

アメリカ生まれのバービーが、その販売の基盤をつくる十数年の間、日本で生産されていたことにも驚きました。それも秀逸なクオリティーの高さで!!。

バービー・カード①.jpg
宮塚さんが関わっていらした年代のドレスを着たバービーたち。(こちらも☆ポストカード・私の収集したカードを並べてみました)
右下カードには、#900番台ドレスが並んでいるんだけど、虫眼鏡を片手に見ないと番号が判らない・・・。
 
これからも、バービーは、ファッションを通じて多くの人々に夢と希望を与えてゆくことを願って。

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