2009年、上海にオープンしたバービー旗艦店『House of Barbie』が、今年の3月に閉店したという寂しいニュース・・めまぐるしく変わる上海とはいえ、わずか2年ですから「あーーぁ」です。鳴り物入りで、中国は上海へ、アジアへと、大規模出店って感じだったんだけど、残念ながら路線の失敗なのかなー。
ところで、バービーのお洋服(着せ替えドレス)を開発し、製作にたずさわっていらした宮塚文子さんが、その半生を語った本を読みました。
もはや戦後ではないと言われた1956年の翌年(1957年)とはいえ、女性の地位は、けして高くはない時代。手に職を持ったひとりの女性として、責任感と忍耐力とガッツを秘めて、アメリカ人デザイナーのジョンソンさんと二人三脚で作り上げていった姿は、多くの女性の共感を呼ぶものだと思います。
また、宮塚さんは有名洋裁学校のご出身ではなく、自宅に程近い週3回の洋裁教室へ通って習得、そして修業されたという点など。とても、親しみを覚えました。帽子の型づくりのヒントは、水道の蛇口に手をかざしたときに得たという微笑ましいエピソードなどの素晴らしいお話も・・・。
この時代を生きた女性は、私の母なども含めて、真面目で働き者、そして努力家で頑張り屋さんです。よき「#59130;昭和のお母さん」であり、あらためて見習うべき世代の方々だと感じ入りました。
アメリカ生まれのバービーが、その販売の基盤をつくる十数年の間、日本で生産されていたことにも驚きました。それも秀逸なクオリティーの高さで!!。